いじめ
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私は、いじめられていました。
よくよく考えると、幼稚園から現在高校まで
正直苦しかったです。
当時は理不尽な言葉の暴力に苦しみ半登校拒否となりかけました。
私の母はいじめに理解ある母親ではありませんでした。
私が毎日仮病を使うのをただの怠けとしてしか見てはくれませんでした。
例え、上手く休めても嫌な顔しかされません。
私にとってその母からの嫌な顔がいじめの次位に嫌でした。
私は、死を選ぼうとした事もあります。
嫌な事から逃げると言うぼんやりとした理由以外に明確な理由はありません。
ただ、弱い自分に嫌悪しか抱けなかったのです。
学校では、トイレにこもり休み時間を潰しました。寂しくて苦しかったです。
ですが他に自分を守る道が分からなかったのです。
仮病を毎日使っていた時に母親に言われた一言は、今でも覚えています。
『世間体も大事なんだから行け』
その瞬間私は、親を信用しなくなりました。
ああ、あの人は私より世間体が大切と悟りました。
もう、死んでも母親には相談しないと決め、私は無理やり学校へ行きました。悲しかった。
ただ、それ以外になにも思い浮かばなかった。
悲しくて悲しくてなのに、涙は出なかったのです。
ただ、無表情で何かを悟ってしまった。
ただそれだけでした。
それから、私は携帯を買ってもらいました。
そして、世界が広がり私にとって夢のような世界でした。
こんな私を仲間として受け入れてくれる人もいました。
ですが、結局現実は何も何一つ変わらないのです。
逃げても逃げても追いかけて胸を押し潰され呼吸が浅くなる感覚。
苦しい…と、言うのか分からないですが簡単に言うと反吐が出ると言った感覚に襲われるのです。
その頃は、私は泣かない美学を貫いていました。
心の中の私はまるで、空気がよどんだ暗闇の中で吐き気がする程のストレスの爆弾を抱えて座りこんで居るそんな状況に、無理やり笑顔を作り引きつり続けるのです。
そんな時チャットの友人に言われたのです。泣いてもいいんだよ?と、その言葉を噛み砕いて飲み込んだ時私は泣いました。
母親に、あんな事を言われても乾いていた筈の涙が決壊したダムのように溢れました。
私は、ただ少し背中を押されるのを待っていただけだったのだと。
ほんの少し誰かに甘えられれば良かったのだと。
泣いた後、私の心は軽くなりまるで足枷を取り払った様でした。
それから今は高校に入学し苦しい事より楽しい事に沢山出会え幸せな日々です。