家内の突然の癌宣告

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たみさん(47歳 男性 兵庫県)から投稿いただいた「お悩み解決体験談」です。

妻と結婚をして21年。

仕事もプライベートも順調に過ごしていたたみさんでしたが、妻の身体の不調が長引いていたため病院に。

大した病気ではないと思っていましたが、医者から告知された病名は肺がんでした。

がんは進行しており、ステージは4。

既に手術もできない状態だったため、抗がん剤を使った闘病生活が始まります。

妻の病気をきっかけにたみさんの生活も一変しますが、様々な葛藤を抱えながらもポジティブに生きる妻の様子に希望を感じるようになります。


我が家は結婚して21年になります。

大学卒業とともに結婚。

たて続けに2人の娘にも恵まれて、仕事もそれなりに順調。

友人、親戚なども全く問題なく、まさに順風満帆の人生を送っていました。

もちろん、上を見れば、キリはありませんが本当に幸せでこんな幸せがいつまでも続くものだとばかり考えていました。

妻に起きた突然の異変

しかし、まさに驚くような出来事が突然襲ってきたのです。

それは結婚して15年経った時のこと。

私は人生初の単身赴任を始めて1年になろうかというタイミングでした。

たまに帰宅すると家内のせきこむ様子が気にはなっていたのですが、本人はさほど気にもとめていなかったので、そっとしておいたのです。

しかし、ある日、あまりに咳が長いのでかかりつけの内科に通ったところ、すぐに大きな病院で検査するようにとの指示。

その夜にすぐに電話をもらったわけですが、すぐにわたしがどうこうできないので一旦、病院の検査結果を待つことにしました。

医者から言い渡された妻の病名は…

それから、3日後。

私はあまり、マイナスを考えないようにしていたわけですが、家内から電話がありました。

電話口でまず家内が「ごめん」と一言。

絞り出すように話し出すと「肺がんのステージ4。6センチの大きさで外科手術はできない。背骨と腰にも転移している」との話。

最初は全く事実とは思えず、さすがに呆然としました。

しかし、どうあれ、すぐに、自宅に帰るべきだと考え、単身赴任先の東京から兵庫県にその日のうちに移動しました。

自宅で家族に妻の病名を告知

自宅についたのはすでに12時でしたが、二人の娘たちを前にして、病気の説明をしました。

すでに高校、中学に上がっていましたので状況はよくわかっていたようで。

「完治するの?」とだけ聞くだけ。

家内は横で黙ったままです。

とりあえず、みんなでいっしょに頑張ろうと付け伝えました。

翌日には車で1時間圏内に住む両家の両親に報告し、闘病中の支援などを求めました。

さすがに驚いていましたが、もちろん全面協力するから大丈夫。

みんなで頑張ろうと言うありがたいことになりました。

わたしも会社にすぐにこのことを話し、勤務地をすぐに変えてもらいました。

そして、我が家の新たな生活が始まります。

抗がん剤を打ちながらの闘病生活

家内は抗がん剤を打ちながらも、日常生活を普通に送る日々。

もちろん、辛い日もあったでしょうがそんな事は微塵も感じさせないほどです。

子供たちには負担をかけないように、むしろお弁当などはこれまで以上に力が入っていましたし、幼い頃から習っていたクラシックバレエについても長女がプロを目指していたこともあり、さらに応援の体を強めていました。 

本人は長女の高校卒業、次女の高校入学、長女の頃としての独り立ち、長女の大学入学と目標を決めて元気に人生を送ることを目標に掲げていました。 

もちろん、途中で抗がん剤がきかなくなり、入院することもありましたが、誰が見ても病人、それも肺がんのステージ4とは思えないほど精力的に活動していました。

病気と闘いながらポジティブに生きる妻に感じる希望

そして、昨年の秋、ターニングポイントである5年生存をクリアしました。

多少、抗がん剤の影響で内臓の数値に異変はありますが、転移もなく、元気な毎日を送っています。

わたしは、家内が闘病に入るまでは自分勝手な生活を送っていたので、肺がんが発覚とともにこれからの人生は家内に恩返しのつもりでいきていこうと決めました。

子供たちはといえば、長女は大学に進まず、プロバレリーナとして家内に輝く姿を見せたい一心で頑張っています。

次女は命を救う仕事につきたいと考え、この春から医療化学の専門の大学の理系にすすみました。

家内は本当にポジティブにいきています。

次の目標、次の目標を定めて。

最近は家内といつまでも一緒にいられるのではないかと期待しています。


たみさん(47歳 男性 兵庫県)、お悩み解決体験談のご投稿ありがとうございます。

順風満帆な人生を送っていたたみさんでしたが、家族の大病により大きな悩みを抱えるようになってしまいました。

奥様の闘病を支えるために勤務地も変更し、生活も一変します。

しかし、病気や死に対する不安を感じさせないようにポジティブに生活を続ける奥様の様子には胸を打たれますね。

果たして自分がそのような状況になったら、明るくポジティブに生きることができるかどうかわかりません。

もちろん、そうやって生活を送ることができている大きな理由の一つにはたみさんの献身的な支えがあるからでしょう。

病気や介護の悩みは誰しもが経験することですから、いつかくる未来に向けて心の準備はしていきたいものですね。

一日も長く奥様が元気な生活を送ることができるようお祈りいたします。